福島の方たちが被爆した現実、『遺言』のようなもの感じる=さようなら原発北海道講演会inさっぽろ
掲載日:2013.03.12
東日本大震災・福島第一原発事故から2年目の2013年3月11日、札幌市・かでる2.7で「さようなら原発北海道講演会inさっぽろ」が開かれ、約600人が参加した。
集会を始めるにあたり、参加者全員で黙とうをささげた。
はじめに、呼びかけ人を代表して、小野有五さん(北海道大学名誉教授)は「震災・原発から二年が経過し今私たちは生きている。子どもたちや北海道の将来のために何ができるのか考えなければならない。日本中の人たちが手を取り合って、原発をなくすために頑張っていこう」とあいさつした。
【小野有五さん】
麻田信二さん(北海道生活協同組合連合会会長理事)は「先人たちの目標は、北海道を東洋のデンマークにしようとしていた。不健全な国からは不健全な国民しか生まれない。福島の現状を見れば、人間が原子力をコントロールすることはできないことがわかる。北海道はバイオマスや太陽光、風力など自然資源を豊かに持っている。原発なしでも十分な地域。子どもたちの未来を絶望の未来ではなく、希望の未来をつくっていくこと、それが私たちに課せられた使命だ」とあいさつした。
【麻田信二さん】
その後、「フクシマ原発震災~ファインダーの向こうとこちら」と題して、フォトジャーナリストの豊田直己さんがスライドトークを行った。
豊田さんはこれまでにも、イラクでの劣化ウラン弾問題や、湾岸戦争の帰還米兵の被爆問題、チェルノブイリを取材してきた。「3.11」直後からは福島で取材を重ね「生活の痕跡を残しつつ人影の消えたまち、放射能汚染や行政の対応に翻弄される住民、廃業を迫られる酪農家、作業員の語る原発労働の現状」をスライドや映像を流しながら話した。
【豊田直己さん】
豊田さんは「福島は2年たっても変わらない。さらに悪化しそうな状況。なぜか。どういう国なのかという思いで取材をしてきた。福島で酪農業を経営していた男性が自殺し『原発さえなければ』と書き残していた。そのお姉さんが『政府は何やっているんだ』と言っていた。私たちはその思いを受け止めているのか」と訴えた。また、「震災翌日、行方不明者の捜索は地元の消防や警察、自治体職員は仲間や家族が亡くなっても捜索を続けていた。しかし、消防・警察・自治体職員の皆さんの努力は報道されない。一方で自衛隊や『友達作戦のアメリカ兵』が頑張ったということはたくさん報道され、写真集も出ている。また、『絆』『ありがとう自衛隊さん、アメリカ兵さん』という言葉とともに日の丸を掲げる政党もある。これが現実だ」と述べた。
さらに、「白い防護服を着てヘルメットかぶり、作業している人を見れば『除染』ということが私たちには染みついている。くもりのない目で見ればただの『草取り』『泥掃除』だ。除染していても放射線量はほとんど変わらない。福島の人は『除染』ではなく『移染』だと言う。国家予算で除染実験と称し、同じ場所を何度も除染しているが、放射線量は変わらず意味がない。本当にそれでいいのか。「除染が復興・絆が希望」と言っている。『除染プラザ』という施設もある。これを意図するものはなんなのか考えなければならない。福島の方々は、目に見えない放射能を知らずに、避難しなかった方、政府や電力会社の指示の遅れで、多くの人が被爆してしまった。震災による被害者はいったい誰なのか、福島の方は、故郷を失っただけでなく、被爆してしまったという現実を考えたとき、遺言のようなものを感じる。皆さんと何ができるか考えていきたい」と呼びかけた。